コトナル#002 閒‐あわい‐のメールマガジン
・はるか遠くどこか誰かの「可能性を開く」ために「遺す」こと
2023年9月1日配信のバックナンバーです
みなさま8月が終わりますね。だいぶ暑さが和らいできて、もう秋だなという感じがします。(書いているうちに日付をまたいで9月になってしまいました)第1号を配信したあと、新たにご登録いただいた方もおられ、49名の宛先に向けて第2号です。はじめましての方も、お久しぶりの方も、ありがとうございます。
8月の前半は用事で京都へ行ったり小田原へ行ったり移動が多かったのですが、最後の2週間はツマとムスコが順番にコロナ陽性リレーでずっと巣ごもり生活でした。ようやく明日から隔離期間明けて子ども二人の登園も再開です。まだ生後7カ月のムスコは、「苦しい」とか「気持ち悪い」とかいった言葉を発せず、ウイルスと戦いながら精一杯熱を出し、細切れの睡眠の合間にたくさん泣いてがんばっておりました。
1. 徹底して受動的であることが創造を可能にする
お熱のムスコの看病と、登園できず暇しているムスメとの遊びの合間に、郡司ペギオ幸夫さんの新著『創造性はどこからやってくるか―天然表現の世界』を読みました。https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480075758/予測も知覚もできない「外部」を呼び込むこと、人工知能には出来ない人間の創造力はどこからやってくるのか。その理論と実践を書いた本です。同書の中で筆者は、被害・加害者意識がもつれ合い維持されたまま(肯定的矛盾)脱色される(否定的矛盾)、トラウマ経験の「癒やし」のプロセスと「創造」の共通点を見出し、外部を呼ぶ込む「賭け」として、徹底して受動的であることを言います。僕も参加したことがあるのですが、依存症の自助グループのアプローチはまさにそうだなと。アルコール、薬物、性、食など、問題行動がやめられなくなった、それによって人間関係や生活に深刻な影響が出ていて、やめたい、やめなきゃと思って集う当事者たちに提示されるステップが「無力さを認める」ことなんです。こんな感じ。
1.私達はアルコールに対して無力であり、生きていくことがどうにもならなくなったことを認めた。2.私達は自分より偉大な力が、私達を正気に戻してくれると信じるようになった。3.私達の意志と生命の方向を変え、自分で理解している神、ハイヤーパワーの配慮の下に置く決心をした。4.探し求め、恐れることなく、生きてきたことの棚卸表を作った。5.神に対し、自分自身に対し、いま一人の人間に対し、自分の誤りの正確な本質を認めた。6.これらの性格上の欠点をすべて取り除くことを、神にゆだねる心の準備が完全にできた。7.自分の短所を変えて下さい、と謙虚に神に求めた。8.私達が傷つけたすべての人の表を作り、そのすべての人達に埋め合わせをする気持ちになった。9.その人達、または他の人々を傷つけない限り、機会あるたびに直接埋め合わせをした。10.自分の生き方の棚卸を実行し続け、誤った時はただちに認めた。11.自分で理解している神との意識的触れ合いを深めるために、神の意志を知り、それだけを行っていく力を祈りと黙想によって求めた。 12.これらのステップを経た結果、霊的に目覚め、この話を他の人達に伝え、また自分のあらゆることに、この原理を実践するように努力した。http://www.al-anon.or.jp/about/property.html
ハイヤーパワーとか神とか、えーうっそーあやしーって思う人も少なくないと思います。実際、自助グループに通いはじめた当人たちも半信半疑で、しかし先ゆく仲間たちと一緒に、とりあえず毎週集まって、テキストを読み、「言いっぱなし、聞きっぱなし」で経験を分かち合い、時間を重ねるうちに、不思議と、それぞれがそれぞれに回復していくというよく分からない現象が、しかし確かに起こる。トラウマや依存症などは、その経験や行動を「能動的」に遡って計算、説明しようと思ってもできない、複雑なもつれ合いこそがその痛みの本質であるのはきっと間違いなく、「なんで?」と言われても困るのですが、しかし、トラウマと創造、確かにそうだよなぁと「わかる」本でした。本を読みながら、お熱のムスコを看病し、自分の幼少期の発熱時の記憶(世界が終わる夢を見て母親に慌てて説明していた)を辿りながら、ちょうど今月から友人とはじめた詩作の試み(今回のお題は「青」)の締切に合わせて「やってきた」のがこんな詩です。
2. はるか遠くどこか誰かの「可能性を開く」ために「遺す」こと
お友達のオムさんから、メルマガ登録時に以下のご質問。掲載許可いただいたので、紹介とお返事を。
”自分の活動でメルマガを作って続けられなくて挫折した経験あります。メルマガとかブログとかyoutuebとか発信系の活動が、自分は苦手意識あるのかなと思うこの頃です。鈴木さんたちにとって、「発信」ってどんなものでしょうか。そしてどんな感覚でしょうか。(楽しいからやってる。ノンストレスで気がついたら発信してる。仕事だからやってる。など。)”
そうだなぁ、そもそも「発信」するという意識を持っていないのかもしれません。mixiという古のSNSがありまして、大学の終わりに失恋した勢いでアカウントを消してしまいましたが、あそこで「日記」を書くというのが、僕のインターネットでものを書き残したはじまりで、以降も2、3回引っ越しながらブログをちまちまと書き続け(それらはほとんど今のサイトにもアーカイブしている)、それが今も続いており、その間、聴く・読む・書く・編む・問う・残す・届けるあれやこれやの手技が食い扶持になってもいて、それはそれでありがたいことなのですが、基本は、自分が気になったこと考えたことを、書いて、それを「ついでに」ネットに「置いている」という感じです。Amazonがネット書店として注目され出したとき、「ロングテール」という言葉をよく聞きましたが、インターネットに公開しておくと、無数の小さなきっかけで書き手と読み手の出会いが生まれます。それは僕も何度も経験したもので、たとえば自分が適応障害とかADHDとか診断を受けてからの経過や試行錯誤を自分の理解や整理も兼ねてブログに書いていたのですが、それを読んだ友人が「実は自分も…」と数年とか10年ぶりぐらいに連絡をくれて、出会い直したりとか、なんでも書いて残しておくもんだなと。立岩真也先生(今日が月命日でした)が「生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築」で以下のように書かれています。http://www.arsvi.com/a/arc.htm
” 人は有限の身体・生命に区切られ、他者と隔てられる。そこに連帯や支配、排斥や支援も生じる。人々は、とくにその身体、病・障害と呼ばれるもの、性的差異、…に関わり、とくにこの国の約100年、何を与えられ、何から遠ざけられたか。何を求めたか。この時代を生きてきた人たちの生・身体に関わる記録を集め、整理し、接近可能にする。そこからこの時代・社会に何があったのか、この私たちの時代・社会は何であったのかを総覧・総括し、この先、何を避けて何をどう求めていったらよいかを探る。 既にあるものも散逸しつつある。そして生きている間にしか人には聞けない★01。であるのに、研究者が各々集め記録したその一部を論文や著書にするだけではまったく間に合わないし、もったいない。文章・文書、画像、写真、録音データ等、「もと」を集め、残し、公開する。その仕組みを作る。各種数値の変遷などの量的データについても同様である。それは解釈の妥当性を他の人たちが確かめるため、別の解釈の可能性を開くためにも有効である。”
それがどんな人に、どのように読まれ、活かされるのかは自分が決めることではないけれど、少なくとも「可能性を開く」ために個的な経験と語りをアーカイブできるならしておくにこしたことはないと思います。時代と世代的に最初からデジタルで書いて残すということが習慣化しており、それは今後も続けるつもりですが、最近は「紙」の本に綴じることにも手を出し初めています。僕の好きなアニメ作品、富野由悠季『∀ガンダム』『Gのレコンギスタ』では、人類の活動で一度文明が荒廃した先のさらに未来が描かれているのですが、それぐらい時間を引き伸ばして考えると、デジタルより紙や石板の方が耐久性が高く、「遺る」可能性が高そうです。ということで、閒の出版企画第一弾。「介助とヒーロー」というテーマで、僕がヘルパーをしている友人の愼 允翼(しん ゆに)くんと2人でドラマ『ラストマンー全盲の捜査官ー』を観て語ったラジオ的連載対談をZINEにしようとしています。https://awai.jp.net/kaijo-heroこんな感じです。
上記のブログに掲載したテキストが合計7万字ぐらい。縦書きで流し込んでちょっと整えて一冊にします。とはいえ全然貯金がないので、印刷費を賄えるぐらいの書い手がいないと企画倒れになるかもしれません笑読みたい、買うよー、という人がいたらご連絡ください。予約が多いと実現可能性が上がりますです。
3. お知らせ
最後にお知らせコーナーです。「生に隣る」という題で、介助の仕事を始めてからの3年をエッセイにしました。https://awai.jp.net/blog/seinitonaru 久しぶりに、書けたな、と思える、思い出深い、大切なテキストを、書かせてもらえました。
こころの悩みを抱える人が、ゆっくりと対話できる場をー精神科医・森川すいめいさんが取り組むオープンダイアローグと、精神科訪問看護への期待https://comorebi.me/column/1330/
だいたい月イチ開催のZoom読書会、次回は10月1日(日)17:00〜、市川 沙央『ハンチバック』です。9月末の次回メルマガでもお知らせしますね。どなたも参加歓迎です。
9月16日(土)、17日(日)@東京大学駒場キャンパスで、障害学会第20回大会があります。「医療的ケアニーズのある子どもと保護者の在宅生活における、保護者同士の繋がりがもたらす影響の分析」という題で、ポスター報告します。会員でなくとも申し込めば参加できるので、ご興味のある方はぜひ。https://jsds-org.sakura.ne.jp/jsds20th/ これが大会ページなのですが、いまアクセスしたらエラーが出ました。少し前までちゃんと表示されていたのですが。まぁそのうち直るでしょう。みなさんも、共有したいこと、表現したいことがあれば、ぜひなんでもお気軽にお便りくださいね。
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